005 日本語の教え方:外的要因に左右されない
義務教育の授業と違い、日本語学校には基本的に日本語を勉強したい人が通っています。
だから、熱心で向上心のある人が多いです。
でも、だからといって、いつもみんな素直で真面目で積極的で・・・というわけには当然ながら行きません。
生徒だって人間です。疲れているときもあれば、機嫌の悪い時もあります。
特に、十代の女子生徒などは、時としてふてくされたような態度を取ることもあります。
また、クラス全員が毎回そろって出席するということもありません。
誰かが欠席する、というのはごく普通ですし、それどころか、例えば半分以上が欠席することだってあります。
これ、困るんですよね、教える側からすると。
例えば文法の授業を2回続けて欠席した生徒が次に来たとき、どうするか。
予定通り授業を進めるか、またはその生徒のためにもう一度同じ説明をするか。
なかなか難しいところです。機会があったらこれについてもまた書きます。
話を戻します。
例えば15人のクラスで出席者が二人、なんてこともあるわけです。
そうすると、こちらも感情を持った生身の人間ですから、正直言ってテンションもダダ下がりです。
せっかく念入りに準備して、いい授業ができそうだと張り切っていたのに、二人って・・・やる気なくなるわ! と言いたくなります。
でも、です。
こう言うときこそ、つまり、生徒の態度が悪かったり、出席率が悪かったりしてこちらのやる気がそがれるような状況になった時でもいい授業をするのが、プロです。
前回も書きましたが、授業は一種のパフォーマンスです。
毎回、生徒に満足して帰ってもらわねばなりません。
態度の悪い一人の生徒のせいでほかの生徒たちにクオリティーの低い授業を提供するのは間違っていますし、休んだ生徒のせいで出席した生徒にやる気のない授業を展開するのも間違いです。出席している生徒には一片の非もありません。
生徒は授業料を払っています。
毎回、いい授業を受ける権利があります。先生の気分によって授業の質にムラがあるようでは誰もお金を払わないでしょう。
こちらも、お金をもらっている以上、いい授業をする責任があります。気分によって授業の質が変わってしまうようでは、報酬を受け取る資格はありません。
だから、その時の状況に感情を支配されるのはやめましょう。
どんな状況でも、常にできうる限りの最高の授業をすべく全力をつくさねばなりません。
でも・・・自分はそんなに心が強くないし・・・という人。分かります。
だから、こう言うときこそ、考え方を変えるのです。
態度の悪い生徒がいたら、たくさん笑わせて積極的に発言するように仕向けてやろう、こっちのペースに引きずり込んで、授業が終わるころにはにこにこさせてやろう、と。
欠席者が多かったら、こんなにたくさん休んでいるのにそれでも私の授業を受けるためにわざわざ来てくれたこの生徒たちのために、今日は最高の授業をしよう、と。
教室を支配するのは、先生です。
生徒ではありません。
一部のリーダー的な生徒に支配されてしまうと、そのクラスは必ず崩壊します。
先生が中心であるべきです。
だから、先生が外的要因によって気分を変えることも、またそれによって授業の質が変わることも、あってはならないのです。
いい雰囲気を作るのも、それを壊すのも生徒ではなく先生です。
常に明るく元気よく、太陽のような先生でいてください。
004 日本語の教え方:授業は明るく元気よく
まず最初に、厳しい現実について書かねばなりません。
万人受けする授業は、ありません。
どんなにベテランの先生でも、実力がある先生でも、評価の高い先生でも、例えば週に100人の生徒を担当していて、そのすべてから最高の評価を受けることは、まずありません。
これは、どうにも仕方のないことです。
性格も能力も好みも十人十色、明るくにぎやかな授業が好きな生徒もいれば、落ち着いたアカデミックな雰囲気の授業が好きな生徒もいます。
文法の説明がしっかりとなされ、それを練習問題などでこなしていくのが好きな生徒もいれば、実際にしゃべることによって身に着けて行くというアプローチが好きな生徒もいます。
同じクラスの中でも、A先生の授業が最高だと思う生徒と、B先生の授業こそが最高だと思う生徒が混在します。
けれども、それでいいのです。
例えば、A先生の授業が高い評価を受けているからと言って、他の先生もみんなA先生の真似をすれば、A先生のコピーがたくさん生まれるだけです。
いろいろな先生がいていいのです。
いえ、いろいろな先生がいたほうがいいのです。
それぞれの先生が自分の個性を活かしていい授業ができるというのが、一番望ましいのです。
だけど、それは生徒に評価されなかったり嫌われたりしても構わない、ということでは全くありませんよ。
また、生徒の年齢や学力、意識等によっても授業のやり方は変わります。
例えば、生徒の年齢層が高め、すなわち大人の授業と、高校生がメインの授業を同じやり方ではできません。
それは、クラスの生徒たちの性格や好みを見極めたうえで調整して行くのがいいでしょう。
これはそんなに難しくないはずです。
でも、実際には生徒の属性や性格等が均一であることはまれで、いろんな人が同じクラスにいます。
では、どうすればいいのか。
私の経験では、最も無難なのは、明るく元気よく授業をすることです。
もちろん、それがあまりそぐわないクラスもあるでしょうが、その場合は変えればいいだけです。
ただ、どんなクラスでも、先生が明るく元気よく、そして何より楽しそうに授業をしていると、生徒も楽しい気分になり、積極的になってくれるのです。
そうすれば、当然休むことなく継続して通ってくれます。
授業は一種のパフォーマンスです。
いつも明るく元気よく、生徒に楽しんでもらうため、満足してもらうために授業をすべきなのです。
だから、生徒の態度等によってこちらの気分が上がったり下がったりするのは非常に良く無いのです。
これについては次回もう少し書きたいと思います。
とにかく、基本はいつも明るく元気よく、です。
それに、少しぐらいつらいことがあっても、疲れていても、生徒の顔を見ると元気になるでしょう?
そんなあなたは、きっといい先生になれます。
003 日本語の教え方:分からないのは誰のせい?
言うまでもないことですが、授業はしっかり予習、準備をしたうえで臨まねばなりません。
悲しいことに、予習に時間をかけたからと言っていい授業ができるわけではありません。どんなに準備しても、うまくいかないことはあります。
逆に、準備に多少不安があっても、充実した授業ができ、生徒も満足してくれることもあります。それが現実です。
ですが、授業の質を確実に上げることができるのは、結局は事前の準備だけなのです。
準備がすべて、と言ってもいいぐらいです。
「いえいえ、日本人の私が日本語を教えるのに、何の予習が必要というの?」
という人は、そもそも勘違いをしています。
こういう人は結構いるのですが、軽薄なノリで生徒受けを狙うようなタイプが多く、先生としては使いものになりません。
個人的には、慣れないうちは、授業の倍の時間を準備に使うぐらいの気持ちが必要だと思います。すなわち、1コマ90分の授業であれば、3時間を予習・準備に使う。
どんなに準備に時間を使っても、完璧だと思うことはないでしょう。
でも、できるだけ完璧に近づける努力はすべきです。
もちろん、ある程度は見切りをつける必要もあります。一日に数コマの授業を担当するとなれば、限界がありますから。
言うまでもないことですが、授業は分かりやすくなければなりません。
大前提です。
時々、生徒が説明を理解できないことに対して、「生徒の能力が低いから」とか、「生徒がバカだから」という言い訳をする人もいます。
私に言わせれば、
「バカは生徒ではなく、お前の方だ」
ということになります。
生徒は、日本語を学びたくて、時間とお金と労力を使って通ってきているわけです。
無理矢理学ばされているわけではありません。
そんな生徒たちが一生懸命理解しようとしているのに理解できないとすれば、それは説明が下手だから、という以外の理由はありません。
理解の遅い生徒は確かにいます。でも、そんな生徒にもちゃんと理解させ、本人も理解できたという満足感を与えるのが、日本語教師の仕事です。
準備は、いくらやっても完璧だと思えることはありません。
でも、よりよい授業を展開するために、毎回、しっかり準備をすべきです。
そして、常に研究と工夫を心がけるべきです。
ゴールは無いのです。
002 日本語の教え方:理想の授業の条件
こんにちは。
理想の授業とは、どのようなものでしょうか。
「いい授業をしたい」と言ったところで、いい授業とは何なのか、それがはっきりしていなければ進む方向も定められません。
私が先生たちへの最初の研修でいつも言っていた理想的な授業の条件はシンプルです。
・力がつく授業
・楽しい授業
・飽きない授業
この3つです。
学校を運営して行くには、とにかく生徒たちに来てもらわなければなりません。
生徒たちに、「受けたい」と思ってもらえるような授業をしなければ、学校はつぶれてしまいます。
では、どんな授業をしたら生徒たちは通い続けてくれるのか。
逆のことを考えると、ヒントになります。
私たちが生徒の時、学生の時、「行きたくないなあ」とか「この授業、受けたくないなあ」と思うのはどんな授業だったか。
その反対が、受けたくなる授業です。
ね? 上の3つの条件を備えている授業なら、通いたくなるでしょう?
もう少し解説します。
まず、わざわざ日本語を勉強しに時間と金を使って通ってきてくれているわけですから、その期待に応えなければなりません。
それが、「力のつく授業」です。
ほかの条件がどんなに優れていようと、力がつかない授業を展開されては生徒たちは離れてしまいます。
自分で授業料を稼いでいる人たちはなおさらです。
だから、これは当たり前すぎるほど大切なことです。
でも、いくら力がついたとしても、スパルタ式で授業を続けられたら生徒としてはさぼりたくなってしまいます。
だから、二つ目の「楽しい授業」がとても重要なのです。
授業中にたくさん笑って、楽しんで、気がついたら力がついていた、というのが生徒にとっては理想的ですね。
でもでも、どんなに楽しくても、同じ先生が同じ調子で教えていると、数か月も経つとだんだん慣れてきてしまい、刺激がなくなります。
簡単に言うと、飽きてしまうのです。
だから、生徒に長期間、数か月だけでなく数年間も(日本語がしっかり身につくまで)通ってもらうためには、飽きの来ないような工夫が必要なのです。
これ、かなりしんどいです。
でも、これができてる先生こそ、生徒たちがどうしても授業を受けたい先生、になれるのです。
そのためには、毎回毎回、手を抜くことなく臨機応変に授業を組み立て、生徒の満足度をあげなければなりません。
ところで、私はミーティングなどで先生たちに、「目指すべき授業」のイメージとして次のようなことをよく話していました。
例えば社会人の生徒の場合、仕事から疲れて帰ってきて、晩ごはんを食べて、ソファーに座って家族とともにリラックスしているとしましょう。
冬はすぐに暗くなりますし、外はひどく寒い。
そんなとき、
「これから地下鉄に乗って学校に行って2時間、日本語の授業を受けるのかあ、面倒くさいなあ、今日はさぼろうかなあ」
と思ってしまうのは当然です。
でも、その時、
「あ、でも今日はあの先生の授業か。そんなら面倒だけど行ってみようかな」
と思ってもらえるような先生になりましょう、そして、2時間の授業を楽しく受けて、帰るときに
「ああ、やっぱり来てよかった。今日、さぼらないでよかった」
と思ってもらえるような授業をしましょう。
いかがでしょうか。
次からはもう少し具体的な対応、考え方、準備等について書いていきたいと思います。