003 日本語の教え方:分からないのは誰のせい?
言うまでもないことですが、授業はしっかり予習、準備をしたうえで臨まねばなりません。
悲しいことに、予習に時間をかけたからと言っていい授業ができるわけではありません。どんなに準備しても、うまくいかないことはあります。
逆に、準備に多少不安があっても、充実した授業ができ、生徒も満足してくれることもあります。それが現実です。
ですが、授業の質を確実に上げることができるのは、結局は事前の準備だけなのです。
準備がすべて、と言ってもいいぐらいです。
「いえいえ、日本人の私が日本語を教えるのに、何の予習が必要というの?」
という人は、そもそも勘違いをしています。
こういう人は結構いるのですが、軽薄なノリで生徒受けを狙うようなタイプが多く、先生としては使いものになりません。
個人的には、慣れないうちは、授業の倍の時間を準備に使うぐらいの気持ちが必要だと思います。すなわち、1コマ90分の授業であれば、3時間を予習・準備に使う。
どんなに準備に時間を使っても、完璧だと思うことはないでしょう。
でも、できるだけ完璧に近づける努力はすべきです。
もちろん、ある程度は見切りをつける必要もあります。一日に数コマの授業を担当するとなれば、限界がありますから。
言うまでもないことですが、授業は分かりやすくなければなりません。
大前提です。
時々、生徒が説明を理解できないことに対して、「生徒の能力が低いから」とか、「生徒がバカだから」という言い訳をする人もいます。
私に言わせれば、
「バカは生徒ではなく、お前の方だ」
ということになります。
生徒は、日本語を学びたくて、時間とお金と労力を使って通ってきているわけです。
無理矢理学ばされているわけではありません。
そんな生徒たちが一生懸命理解しようとしているのに理解できないとすれば、それは説明が下手だから、という以外の理由はありません。
理解の遅い生徒は確かにいます。でも、そんな生徒にもちゃんと理解させ、本人も理解できたという満足感を与えるのが、日本語教師の仕事です。
準備は、いくらやっても完璧だと思えることはありません。
でも、よりよい授業を展開するために、毎回、しっかり準備をすべきです。
そして、常に研究と工夫を心がけるべきです。
ゴールは無いのです。